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有名な落語に『野ざらし』というのがあって、上方落語では『骨つり』とお題が変わるが、内容はおおよそ同じもの。とあるところにおんぼろ長屋があって、住んでいるのは元浪人という壮年の隠居と おっちょこちょいの大工の八五郎の二人だけ。ある晩、隣りのご浪人の家から薄い壁越しに話し声がした。夜道は大丈夫だったかいなんていう物言いに、てっきり女が訪ねて来たのだろうと思い込み、昨夜は寝られなかったぞどうしてくれると、やっかみ半分の言い掛かりをつけたところが、聞かれていたかそれは済まないとご浪人は不思議な話をしてくれた。
―― 実はあれは骨だ。
骨? ああ、昨日は昼のうち向島まで釣りに出掛けたのだが、これがさっぱり釣れなくてね。夕方まで粘ったがそれでもダメだったので帰ろうとしたのだが、上げ潮に押されるようにどんどんと上流まで来ていたその足元や河原には、ようよう見れば たくさんの白骨があるじゃないか。土地の人に聞けば、海や下流で水死した者の骨が上げ潮に押し流されて来て、この辺で取り残されてのこの惨状だとか。こんなになって野辺にさらされちゃあ可哀想だと、持って来ていた酒をそのうちの1つへ手向けにと掛けてやり、経を読んで回向をしてやったのだが、そうしたら晩になって ほとほとと戸を叩く者がある。十代くらいの見知らぬ若い娘で、一体誰かと問えば、あなたさまに回向していただいた者でございます、成仏することが出来ましたので何かお礼がしたくてと言うじゃないか。それでまあ何だ、腰など揉んでもらっていたわけだよ…と。実はデタラメだったのだけれど、そんな話を聞かされて、すっかり真に受けた八五郎。本気にしての向島へと出掛け、大騒ぎをして他の釣り客に迷惑を掛け倒し、しまいにはちゃんと教わったはずのお経をデタラメに唱えて、さあと長屋で待っておれば…というお話で、オチは内緒♪ というか、元本は中国の笑話なんですが、ちょっと困ったオチになっていたので、のちのち様々にアレンジされたらしく、色んなオチがあるそうな。時代劇と同じくらい、落語も好きな筆者でございますvv
◇ ◇ ◇
そこは神社へ続く道なりの原っぱで、ただただ殺風景なばかりの何にもない空き地。海に続いてる川もなければ、結構な大きさのあるこんなものを悪戯で咥えて飛んで来そうな 鷹やハヤブサが棲んでるような、大きな樹や岩棚があるようなところでもない。じゃあ、ここで行き倒れた人が白骨化したものだろうか。人通りが少ないったって、何日も何週間も全くの全然誰も通らないって訳じゃあない。日に何人かは、神社へのお参りだ何だで通る人もいるから、誰か倒れておれば気がつく筈で、息のあるうちには行き合わせなくとも、白骨化するまでという長々と、全くの誰も気づかないなんてあり得ない。それに、
「首しかないってのも不自然だよな。」
「〜〜〜。」
「これだけが転げて来たってこたないだろによ。
戦国時代みたいに、誰かが討ち取って首だけ持って来たのかな。
そいで、ここで検分して後は知らねって置いてったとか。」
「〜〜〜〜〜。」
「なあなあ、どうなんだよ、せんっせい。」
「親分、勘弁してくれよう〜〜〜。」
親分から肩を揺すぶられたものの、それどころじゃあないと言わんばかり。つぶらな瞳が涙に溺れそうになっているのが、合い長屋のチョッパーというお医者様。怖さの余り引っ繰り返ってしまったウソップを叩き起こし、夢じゃあなくてのやっぱり骸骨がいると確かめさせると、もうやだ帰りたいと騒ぐので、そんじゃあ先生を呼んで来いと使いに出した。まだまだお若い先生ながら、蘭学も修めているという大した勉強家で、怪我でも病でも見立ては正確でそりゃあ頼りになるお人だってのに、
「何だよ、先生。お医者の勉強には、死んだ人を調べて死因を改めるってのもあるんだろうが。」
だってのに骨くらいで怖がってどうするかと、豪気なことを言う親分だが、
「だ、だってよぉ、その骨、骨……。」
呼んで来るだけだった筈だのに、場所が判らないという先生を連れて、結局戻って来る羽目になったウソップの。その足元へと隠れるようにして、震えもって後ずさりをしているチョッパー先生なのはどうしてか。
《 あの〜、すいません。私、別に此処で野垂れ死んだのではないのですが。》
「ぎょえ〜〜〜〜っっ!」
「ひゃあぁぁ〜〜〜っ!」
深夜の野辺に上がった悲鳴が、そろそろご近所の人たちからの注意を集めかねないなと。そっちのご迷惑も案じた方がよかないか? ……それもまた心配する方向性がおかしいですか? あれれぇ?(苦笑)
「此処で死んだんじゃあないって? じゃあ何でまた こんなところにいんだよ。」
《 さあ〜。》
「しっかりしなってば。他でもねぇ、あんたのことじゃねぇかよ。」
それとも不意を喰らってのことだったんで覚えてねぇとか? いや、むしろあまりに昔のことなんで覚えてないというほうが正しいかと。
《 だってこうまで見事に骨だけになってる訳ですし。》
下顎を支えるこめかみからを、かくかくカタカタ鳴らしもって喋り続ける相手が相手だから、専門家として冷静であるべきチョッパー先生が、大きに動揺しまくっておいでなのであり。
「お、お、親分っ、そいつ、な、なんで喋れるんだっ?」
「さあ、何でかなあ。」
お医者でも判んねぇことが おいらに判るはずがなかろうよ、なんて。可笑しなことを言うセンセイだという順番で解釈し、朗らかに笑い出すようなお人が相手では、
《 怖がっているのが空しくなって来ませんか?》
「うっさいなっ。当のあんたに言われたかねぇやっ!」
少しは馴染んだか、ウソップが思い切り言い返してから、
「……あわわ、すんませんっ、すんませんっ。怒鳴ったりして、すんませんっ。どうか祟らないで下さいっ。」
謝る方も方ならば、
《 ………。》
地面の上でころころと、回り終えた駒のように少しほど回った末に、頭を傾けて俯いてしまうドクロの方も方だったりし。
「あれは、手があれば地面に何か書いてそうだな。」
「いじけてか?」
怖い怖いと大騒ぎをしつつ長屋へ戻るウソップを見かけた“かざぐるま”の板前さんが、こりゃ何かあったなとついて来てくれていたのが不幸中の幸い。ルフィのお気楽な物言いへ、脱力を示す後れ毛が何本か立ったらしい頭をかくりと項垂れさせたものの、
「で。色々と訊いても構わねぇんだな?」
《 あ、はい。どうぞ よしなに。》
年少三人組だけでは到底収拾がつかないに違いないこの場で、何とか事態の整理にあたってくれるサンジさんならしくって。
“つか。こいつの言いようじゃないが、騒いでるばっかじゃあ埒が明かねぇからな。”
彼だとて、全く驚いてない訳じゃあないけれど、びっくりしてるばかりでは何とも話が進まない。ここはひとつ落ち着いて、何が一体どうした訳で、こんな奇妙な物体が存在するのかを探らねば、どうにも対処の取りようがないとすっぱり切り替えたあたり、
《 あなた、随分と合理主義ですね。》
「そうでもねぇさ。」
真の合理主義者なら…こうまで向かい合うまでもなく、とっととどこぞかの寺にでも持ってって、住職に有無をも言わさず供養を頼んで、そこできっぱりと縁を切っとるわい、と。腹の中にて反駁してから、
「ただまあ。この親分さんが、自分の手で何とかしてやらにゃあって顔に、しっかりとなってるからな。」
自分の身の回りや世渡りなんてな、肝心なことにはずぼらなくせして、こういう厄介ごとほど“放っておけない”と首を突っ込む、ある意味 立派な天の邪鬼。事なかれ主義とか、触らぬ神に祟り無しとかいう言葉、親分の座右の辞書には載ってないんじゃなかろうかというほどに、困った性分なお人なの、重々知ってるもんだから。
“つか、辞書に書いてあっても読めねぇのかもな。”
こらこら。(苦笑) こうまで言われても動じないまま、後ろ頭へ両手を回して“にゃは〜”と笑っておいでの親分の足元を見下ろすと、サンジがあらためての事情聴取に取りかかる。
「さっき、何でこんな処に居んのかが自分でも判んねぇって言ってたが。」
《 はい。》
「だが、ここで野垂れ死にしたんじゃないらしいってのは“判る”んだな?」
《 ええ。》
さっきも言いましたが、骨になるまで誰にも気づかれぬまま此処にずっといたなんて不自然ですし、頭の部分だけってのは何とも妙で…って、
《 何をしてますか。》
「いや、目線が合わないんで。」
石灯籠か、それとも塚石だったものか。だとすれば随分と崩れてしまった大きめの石が、原っぱの中に何基かあった1つへ腰掛けて、麦ワラの親分がそのお膝へとドクロを持ち上げ乗っけてしまう。あまりに無造作な行動ではあったけれど、
「わっわっ! お、親分っ! 何してんだ、あんたっ!」
「だから、あんまり足元過ぎてよ、話をしづらいだろうが。」
「だからって、そんなもんに触って、膝に乗っけるなんてっ!」
祟られたらどうすんですよと、逃げ腰のままで声を張るウソップへ、ま〜だ怖がっとるのかとさすがに閉口したサンジが肩を落とす。まま、この長っ鼻の青年が臆病なのは昔っからだし、これでも最近はマシになった方で、何をおいてもとあっさり逃げ出さないだけ成長してはいる。とはいえ、これでは喧しくてしょうがないので、
「こいつに何か怨念でも染みついてて、
それで動けてるんじゃねぇかってことを心配してんだな?」
「そっそそそ、その通りっ!」
そんなことを、しかも自分で言い切れてなかった身で胸を張るなと、どこか苦々しいお顔になったサンジが何をか言い出そうとしたより先んじて、
《 ああ、それはないです。》
あっけらかんとした声がした。えっと見やれば、月光を受けて褪めた白に輝く骸骨が、カクカクと口を開け閉めし、
《 そんな妖力があるのなら、
既に発揮してやりたいことをやってるんじゃないですか?》
何か、さっきから他人事みたいな言いようをする人なんですが。……人か? まあ、元は人かな?
「じゃあ、その妖力が足りねぇもんだから、俺らみたいのを誑(たぶら)かしてやろうって。そこで転がって、引っ掛かるのを待ってたんじゃねぇのかよっ!」
おおお。ちょっとは覇気が沸いたものか、威勢のいいお声で言い返しているウソップであり。それへと、
《 それもどうでしょうねぇ。》
やはり淡々とした調子のお声を返し、抱えられたお膝の上で“う〜ん”と小首をかしげて見せる骸骨さんで。
《 声をかけて見つけてもらったとしても、あなた方みたいに“まあ話を聞いてやろう”と構える人は珍しいでしょうに。大概は逃げちゃいますって。》
私も実はこういう手の怖い話は苦手だったんで、もしも行き会わせていたなら、きゃあって逃げ出してるに違いない。何ぁんだ、案外と肝が小さいだな。ええ、今は小さいどころかそのものが無いみたいですが、肝。そりゃいいや、確かにねぇわな、だっはっはっは…と、髑髏冗句に声立てて笑ってる親分だったりするもんだから、
「あれを怖がってるのは、確かに馬鹿々々しいかもな。」
「う〜ん……。」
夜目にも白く浮かび上がってる、骨だけのお顔とあって。見た目はやっぱりおっかないけれど、物の言いようは随分と剽げているし、何より、言ってることにいちいち筋が通ってもいる。いやまあ、それこそ言いくるめるための話法を完璧に身につけている物怪(もののけ)なのかもしれないが。
「何人もが、あいつのだろう話しかけて来る声を聞いてるって言ってたんだってな。」
「ああ。」
チョッパーがウソップにこそっと訊いて確かめて。それから…彼へとしがみついてた手を緩めたのは。
「祟りたかったんなら、逃げて離れた奴にはダメでも、近寄って来た次の人へは出来ただろうにな。」
「ああ…。」
「何日も何日も、此処にずっと放り出されてたんだな。」
生物的に“生きてる”と言えるかどうかは別にして。意識があってのそれって……、
「心細かっただろうにな。」
何かするには精気が足りないというのなら、こそり、通りすがった者から吸い取ればいいじゃないか。そんな芸当さえこなせないほど、何も出来ない身での放置だなんて、
「きっと、さぞや寂しかったろうにな。」
「………せんせぇ。」
あれほど怖い怖いと騒いでいたものが、今や鼻声になっている。あらまあ絆されたらしいよこのお人ったら…と、そうと感じたウソップもまた、こうなってくると自分一人だけが怖がっているのがそれこそ空しくもなって来るというもので。呪われるんなら此処にいる顔触れもろともの話、それに、手を貸さなかったことで恨まれるという可能性だってなくはない。
「ああもう、判りましたよ。悪さはしない、むしろ、どうやら迷子の骸骨らしいってんでしょう?」
よくよく見れば、そんなにおどろおどろしい雰囲気でもない相手だし。というのも、
「それにしても、髪の毛がそんなにも残ってるなんて、珍しいんじゃないのか?」
いやに毛むくじゃらな頭巾だなと思ったルフィが掴んだところが、頭にしっかと植わった髪の毛であるらしく。火事場ででも亡くなったのか、すっかり縮れているせいで嵩も増しての物凄い膨張っぷり。サンジが、こちらは別な石座の端っこへ腰掛けての、煙管へたばこを詰めつつ問えば、
《 毛根が強かったみたいですねぇvv》
表情は動かぬが、声はご陽気に弾んだので、そんな髪だってのはまんざら嫌じゃあないらしく。
「この髪があったから、ぽいと放り出されても壊れたり欠けたりしなかったのかも知れないな。」
怖ず怖ずと、サンジの背中の陰へまで何とか前進して来たチョッパー先生。全身見せてお顔の端っこだけを板前さんの背中に隠すという、相変わらずの頓珍漢な隠れ方をしつつ、骸骨さんを見やってそんな言いようをし、
「…なあ。全くの全然、何にも覚えていないのか?」
俺はその、医者だからさ。お坊さんとか神主さんみたく、成仏とか昇天に要るような知識は持ってないんだけれど。腕を上げてやって脇を空け、髑髏さんとの会話がしやすいよう、見通しよくしてやったサンジの羽織る袷(あわせ)にぎゅうと掴まったまま、そんな言いようを連ねた小さなお医者様、
「死んでしまってもなお、気にかけてることとか、そういう意識が居残っていて。生前の気脈なら使いようにも馴染みがあるからって、元の身体に取り憑いて、こうして喋れているのかもしれない。」
自分の知識という専門範囲内でのお答えを、何とか捻り出してくれたのらしく。さっきまでの怖がってた様子からすりゃあ随分な歩み寄り。サンジがほっこりと微笑ってやって、親分さんが無造作に支えてた骸骨の君も、
《 ……。》
「おい?」
《 あ、すいません。》
何にか感じ入っていたような、呆けたような間合いを見せてから、
《 こんな親身になってもらえたなんて…何年振りだかと思いまして。》
―― ああそうだった。
深い深い眠りについてたからってだけじゃあなく。私は……
頭の芯が、喉奥がじわりと熱い。生身の体じゃないことがもどかしい。咬みしめる唇もなく、涙さえ出ないことが情けない。少しだけ思い出したものは、今いるこんな暖かさじゃあなくて。ただただ寂寥に満ちていた、薄ら寒い想いばかりだったので……。
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*ブルックさんは(あ、言っちゃった)、ああいう経緯であの姿になった人なので、
バラバラのバギーと違い、
首が胴から外れたりなんかしたら、
生身の人間と変わりなく 死んじゃうほどの大事だろと。
そこのところは判ってますので念のため。
このお話に限ってこういう存在だということで、ご了承下さいませです。
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